明日発売の新刊レビュー
『宝灯堂機譚』佐々木尚 心を持ったモノたちを売ったり捨てたりできますか
たまごまご
モノとヒトとの別れ
物語の軸になっているのは、モノがどうヒトと暮らすのかと、避けることのできない別れだ。
モノは壊れる。必要とされなくなったら売られ、捨てられ、いつか必ず主人と別れる。
ホオズキは自分のことも踏まえて言う。
「ヒトにつくられ ヒトに仕え ヒトのために死ぬ 時には主の資金のために売られることもまたモノの宿命だ」
どんな感情を持とうとも、モノはヒトと同列ではない。宝が行う修理は、ただ見た目を取り繕ったり、機能するようにすることじゃない。モノが在るべき場所で役割を果たせるように、心を直すことだ。
そこには、役割を果たしたあとの別れを受け入れさせることも含まれる。
モノとヒトとの共存問題
モノが「捨てられたくない」と願うのは、各々に思い出があるから。
耳の聞こえない少女が持っていた蓄音機は、彼女の家族とともに過ごしてきた日々に幸せを感じていた。だから売られたくない、離れたくない。
確かにそれはモノとして主張されても困る。とはいえ間違いだと断罪するのは酷な話。
宝とホオズキの日常は明るく、全体のタッチはドタバタしている。
しかしモノであるホオズキは時折、やがて訪れるであろう別れの匂いが漂う。
モノが持つセンチメンタルな記憶を描いた物語は、懐かしさを含みつつも誰も見たことがない不思議な背景描写と、よくマッチしている。
ヒトと同等になれないモノは、心を持ったまま共存できるのか。
ありえない話ではない。「AI」という言葉が身近になった現実社会では、すでにモノの人権を問う動きもある。
モノとヒト、どちらかに加担しすぎない宝とホオズキのバランス感が、今後どう描かれていくか見ものだ。
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© Cygames/Nao Sasaki