明日発売の新刊レビュー
成平こうじろう『ぼくの姫島くん』 女装男子に惹かれるのは、変態なのか?
小林聖
「姫島さん」という質量を持った残像
江口寿史氏の名作『ストップ!! ひばりくん!』もそうだが、「恋した女の子が男だった」という物語は極めてコメディ的でありながら、不思議と甘酸っぱく切ない読み味がある。
『ぼくの姫島くん』も、「姫島さん」の外面と「姫島くん」のえげつない本性のギャップなど、コメディテイストが強いが、一方で作中の古賀と同じように、読者も存在しないはずの架空の美少女にドキッとさせられてしまう。
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男だとわかっていても「美少女」にこんなことを言われたらよろめいてしまう
「相手が実は男だった」というのは極端なケースではあるけれど、恋というのはその多くが本質的に架空のものなのだと思う。特に初恋などは、相手を知り尽くしているから好きになるというよりも、容姿や仕草、ほんのわずかなきっかけで始まる。相手の本当のところなんてものは、付き合ってみなければわからなかったりする。
そういう意味で、恋には熱量はあっても、実態としての質量はないといえる。すべての恋は、古賀の恋と同じように多かれ少なかれ「架空」なのだ。
『ぼくの姫島くん』の面白さは、その架空の恋が、架空でありながら質量を持ち始めるところだ。恋をした「姫島さん」は性別上も、性格的にも存在しない。だが古賀は、姫島さんの秘密を、自分の恋が架空であることを知った上で、戸惑いながらも「彼女」の秘密を守ろうとし、協力してしまう。
それは「姫島くん」のためというよりも、「姫島さん」を守るためだ。そして、架空の「姫島さん」をときどき「姫島くん」のなかに見つけてしまうからだ。
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「姫島さん」は架空の存在に過ぎない。けれど、古賀と「姫島くん」の間には、ほんのわずかに「姫島さん」が存在している
古賀の恋はかりそめに過ぎない。だけど、そのかりそめに心を動かされ、一途に大事に思う気持ちは本物だ。そして、古賀が恋した「姫島さん」に触れることで「姫島くん」もまた少し変わっていく。
幻の恋ではあるけれど、ふたり の間に存在する「姫島さん」には、ほんのわずかな質量がある。この恋は質量を持った残像なのだ。
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©成平こうじろう/白泉社(別冊花とゆめ)