明日発売の新刊レビュー
『甘木唯子のツノと愛』久野遥子 ツノ持つ少女の願いが響く
籠生堅太
「あたしを見て」という静かでも強い願い
漫画単行本が月1,000冊刊行される世の中。読みきれないほどの本の波に押し流されるて、どんな名作とも深い関係を築くことが難しくなっているように感じることがある。
そんななか本日7月24日発売された久野遥子(くの・ようこ)氏の初単行本『甘木唯子(あまぎ・ゆいこ)のツノと愛』は、迫りくる新しい物語の誘惑を跳ね除けて、何度でも何度でも繰り返し読みたくなる1冊だ。
ツノのある妹と、ツノのない兄。離れて暮らしていた母の死から、少しずつ変わっていくふたりの世界を描いた表題作ほか3作品が収録された作品集。そのどれもが少女たちの、「私を見て」という願いに満ち満ちている。
彼女たちの願いは、セリフに、仕草に、視線に、そしてコマとコマの間にもすら潜んでいるように感じられて、そのひとつでも逃したくなくて、読み終わった次の瞬間にまた最初のページをめくってしまう。
ツノのない兄とツノのある妹
単行本の約半分のボリュームを占める表題作『甘木唯子のツノと愛』のことを語っていこう。ユニコーンのようなツノを生やした唯子は、ツノのない兄・宏喜(ひろき)と秘密の特訓に励む。その小さなツノを何かに突き立てるために、宏喜からその目的も知らされぬまま。
しかし彼らの特訓は徒労に終わる。宏喜が突き刺したかった相手、ふたりがまだ幼い頃に家を出ていった母親は、冷たくなって帰ってきた。唯子の中学校の入学式から間もない日の出来事だった。
唯子のツノは、母親が出ていった日に現れたものだ。それは宏喜の憎しみの象徴だったのかもしれないし、「駄目だよ、お兄ちゃん(中略)ひとりにさせちゃ」と兄を託された幼い唯子の精一杯の母性だったのかもしれない。
母親のかわりに現れたツノに、“母殺害”という矛盾した想いをこめてしまう宏樹。宏喜にとって唯子のツノは、母であると同時に、その母を葬りさるための武器となる。
どちらにせよ、宏喜は唯子自身よりも、彼女のツノと、そこにこめられたものを見つめている。
肩書や、役割や、機能として見られる冷たさを私たちは知っている。手足が一気に凍りつくような、向かい合って言葉を交わしているのに、相手からひとつの温もりも感じられないような冷たさだ。
それでもまだ母がいたころは、宏喜は唯子の方を向いていた。
けれど母の死によって、宏喜が唯子のツノに託していたものは消えてしまった。
「あたしのツノはどうしたらいいの?」
拠り所としていたものが、ある日急になくなってしまう。
そのときに感じる胸の痛みは、時間がたつことで和らぐが、消え去ってしまうわけではない。折にふれては痛みだす。
『甘木唯子のツノと愛』はそんな痛みを呼び起こす。
何度でも繰り返し読みたくなる
こんなふうに書いてしまうと、唯子はとても重たいものを背負った暗い子のように思う人もいるだろう。
真逆だ。いつでも明るい笑顔を見せ、中学校の制服に大喜びし、宏喜の構えるカメラに向かってポーズを決める。
キュートな絵柄やクルクルと変わる唯子の表情に夢中になって、スラスラと読み進められるが、だからといって決して軽い物語ではない。
作中、宏喜と唯子の視線はなかなか交わることがない。印象的だったのは、宏喜といい感じの同級生・野重(のしげ)さんを介したりすることで、ふたりの視線が交わるシーン。
本当に見てほしかった人には見つけてもらえないさびしさ。
「あたしを見て」
その願いはシンプルだからこそ強い。だからちょっとした仕草や視線だったとしても、読むものの心を揺り動かす。
明るく振る舞まる唯子が発する微かな叫びにも気がついてあげたくて、物語を繰り返してしまう。
それは収録されてる「透明人間」「IDOL」「へび苺」といった他の作品も同様だ。
たった一撃で強烈なインパクトを心に残していく物語あるが、何度も読むことで、心に深く刻みつけられる作品もある。『甘木唯子のツノと愛』は、まぎれもなく後者だ。
KADOKAWA / エンターブレイン (2017-07-24)
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当初、7月23日の記事掲載を予定しておりましたが、編集上の都合により7月24日の掲載となりました。記事企画名と記事内容に齟齬があること、謹んでお詫び申し上げます。
©KUNO Yoko 2017